2024年6月25日、江戸一番の盆栽作家、斉田金作のお弟子様の阿部倉吉氏の盆栽園を訪れました。
盆栽作家 斉田金作は私の曽祖父にあたります。
100人近くの弟子を抱える中、最も素晴らしかったお弟子様。それが阿部倉吉氏です。
爺の盆栽の理念、作風、教えを忠実に守り、世界へと盆栽の魅力を発信、発展下さる、私の中にある深い感謝から突き動かされるように‥…。 曽祖父、斉田金作は江戸500年の歴史を持つ巣鴨芳樹園の歴史の中、音楽に例えるとバッハのような高き存在。 皇居の盆栽や早稲田大学の式典、東京見本市、東京オリンピック日本代表の盆栽、パリ万博等に選ばれる中、出展しておりました。
爺の斉田芳樹園は現在の巣鴨から池袋まで他所を歩かずとも入園できる日本一の盆栽園でした。 しかし戦争で何千鉢と焼けて失くなり、祖父、泰正も立て直しに尽かすも閉園してしまいました。その中、福島から住み込みで東京に学んだ阿部倉吉氏に技と心は継承され、何と現代の2代目健一氏、三代目大樹氏へとその学びの宝は大切に引き継がれてきました。
写真は床の間で披露したミニコンサートの様子です。阿部さん宅で演奏するその背後で守ってくれる盆栽作品は樹齢何年相当。名作、風格、威厳、オーラに守られ幸せな演奏会となりました。
私は阿部倉吉氏の盆栽の師匠、斎田金作のひ孫にあたります。
そして、母(中川紀子)は斎田金作の息子さんで斎田芳樹園二代目の泰正の娘にあたります。
石碑には古文で読みづらいですが、斉田金作の名を刻まれていました。倉吉さんへの指導の感謝の思いを刻んでくれていたのをここ福島に来て見ることができ涙が止まりませんでした。
自分の曽祖父から受け継ぐ美意識、空間有美のルーツを訪ねる旅。そして、人の心を照らし、温める物語。
演奏だけでなく、吾妻小富士 吾妻小屋で二代目健一様とお酒を飲み交わしました。
今日の思い出に恥じないよう、演奏家としてさらなる精進を重ねていきたいと思います。
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